「なぜ、それを考えつかなかったのか?」について
あなたの思考法は今のままでベストですか?きっとそうではないはずです。それに気づいていながら、つい「いつもどおりに考えてしまう」惰性的悪循環。それを破れば、後で「こうすれば良かった、ああすれば良かった」と後悔することはなくなります。
著者 | チャールズ W.マッコイ Jr. |
発売日 | 2003/2/1 |
ページ数 | 300ページ |
amazon評価(記事執筆時点) | ★★★★☆ (3.7/5) |
「なぜ、それを考えつかなかったのか?」の目次+要約
第一章 なぜ、それを見抜けなかったのか?
後々になって、「なんで、こんな簡単なことが見抜けなかったんだろう・・・?」と思った経験は誰にでもあるはず。見返してみたら、明らかにおかしいことが一目瞭然なのに、なぜその時には気付けなかったんだろう?
単純な理由として考えられるのは、それを見落としていたから見抜けなかったということ。では、なぜ見抜けなかったのか?加えて、それを見落としたことがなぜ間違いにつながったのか。
これは、”正しく物事をとらえること”の大切さを物語っています。
正しくとらえるというのは…
- 先入観もなく
- 正しく
- 重要な事実
をありのままにとらえることができるのかどうか。これができなかったときに、”見抜けない”という結果につながることになります。
なぜなら、ゴミ(ミス・嘘)が混ざると、その事実から出てくるのは”間違い”である可能性が非常に高いからです。逆に言えば、聡明な人ほど、情報を集める段階で正確さにこだわります。
漏れなく、無駄なく、正確に情報を集めないと、1つでもゴミが混ざると間違った結論に達する可能性が高いためです。
3の要素から正解を導くときに、1つでも間違いが混ざるとそこから出てくる18の答えのうち12が間違いだということになります。
- 3つの要素:A、B、×
- Xは間違った情報
- 行が1桁目2桁目
- 列が3桁目
と仮定した表をつくるとこうなります
a | b | x | |
aa | 〇 aaa | 〇 aab | × aax |
ab | 〇 aba | 〇 abb | × abx |
ax | × axa | × axb | × axx |
bb | 〇 bba | 〇 bbb | × bbx |
bx | × bxa | × bxb | × bxx |
xx | × xxa | × xxb | × xxx |
1つでも間違いが混ざると、想定される答えのパターンの半分以上で間違った答えが出てくる可能性があります。
つまり、見抜けない原因を探ると、正しい情報を漏れなく無駄なく集めてなかったということが考えれるし、そうなってしまった理由は間違った情報が1つでも混ざることで起こるリスクについての認識が甘かったということも考えられます。
第二章 なぜ、それに集中しなかったのか?
集中して考えるべきことをちゃんと考えずに後悔する経験は誰の身にも起こりうることですが、なぜそのようなことが起こりうるのかを第二章で書かれています。
なぜ集中しなかったのか。その理由はいくつかありますが、まず大きな要因が「自分が責任を取るとは思ってなかった」ということにあります。
その決断にそれほど集中しなくても問題はないだろう。問題が起きたとしても、なんとかなるだろう。そんな感じで責任を取らされることになるとは思ってない時には集中せずに甘く見すぎてしまう傾向があるようです。
では、ちゃんと責任を取る覚悟を持ち、集中すると覚悟したとして、集中するとはいったい何なのか。集中するという行為の要素を分解すると2つに分かれます。
- 強度 … 深くしっかりジックリと取り組む
- 焦点 … どこについて、何についてが明確になっている
集中するとは”焦点”に対して”強度”を高めで取り組むことを意味しています。
強度とはわかりやすい所でいえば時間です。時間を確保して、それのことだけに取り組む。こういった状態はまさに集中していると言える状態です。高い強度で取り組むことが集中を構成する1つの要素です。
そしてもう1つの焦点。何に取り組むのか、です。本の中では焦点とはつまり”診断”であるという捉え方をしています。
何かに集中しなければいけない時。何を求められているのかというと、正確に情報を捉えて読み取り、それを土台にして思考して決断したり判断することを意味していることが多いはずです。これは、決断や判断を下すために集中を要するということでもあります。
ある人から告白された。どう返事をするのか迷う。そこで考えるべきは、その返事を悔いなく行うための情報集めであり分析であり、それはつまり診断行為でもあるはずです。
判断や決断を下すための”診断”が集中すべき焦点です。
後になって責任を取らされる段になって「あの時にちゃんと集中していればよかったのに」という後悔は何を意味しているのかというと、時間をとってじっくりと診断しておけばよかったな…ということを意味しています。
正しい決断と判断を下すための調査・思考を診断という捉え方をすると、いろいろな場面でそういうことが起きているはずです。
たとえば、入試や資格試験。定期テストなどもそうですよね?
試験とは問いに対して判断決断をするという行為でもあります。その判断決断の精度をあげるには事前の診断、つまり勉強時間を確保して、じっくりと正しい情報や知識を頭に入れているのかどうかが重要で、そこを怠っていると、試験の結果に対する責任を取らされることになります。
集中をすべきときに集中することは大切で、集中とは何かというと、”焦点”に対する”強度”を持った取り組みで、”焦点”とは何かとなると診断です。
そこを意識していると、集中しておくべきだったな…という後悔は少なくなるかもしれません。
第三章 なぜ、それを見過ごしたのか?
情報や意見、また自分自身の思考にしろ、その質がとても重要になってきます。もし質の低い情報や思考を基に判断すると、間違った結果を導くことになります。
それが後になって振り返ると「なぜ、それを見過ごしたんだろう?」という疑問にさえつながることもあります。
では、なぜ見過ごしてしまったのか。言い方を変えると、それに対してその質をジャッジすることができなかったのか?となると、”良い批判的視点”を持ち合わせていないため、質を判断することができなかったという答えに行きつきます。
では良い批判的視点とは何か?それはソクラテスが要求した以下の基準を持つことが良いと勧めています。
- それは明確か?
- それは正確か?
- それは包括的か?
- それは道理にかなっているか?
- それは知的に高潔か?
この基準に照らし合わせてすべてYESとなるものは質のいい意見、質のいい思考だと言えるというものです。
どれだけ耳障りがよく、どれだけ魅力的であっても、一つでもNOがあると通すべきではないという明確な基準をもつことで間違った情報や意見を見過ごすことがなくなります。
第四章 なぜ、それに気づかなかったのか?
ある発見が起きた時に、「なぜ、それに誰も気づかなかったのだろう?」と驚かされることがたびたび起きます。その例としてマリー・キュリーが放射能という物質を発見し、それが認められた時にも同様のことが言われたそうです。
なぜ誰も気づかなかったのだろう?ほかの人でも気付くことはできたはずなのに・・・
その疑問の答えは、思考の”品質管理”と”方法論”の2つの要素によってもたらされるそうです。
思考の方法論とは、思考の順序を設計するということを意味しています。”考えましょう”となったときに「うーん」とただ考え込むのではなくて、どういう順番で考えると正しい答えが出せるだろう?と、思考の順番を思考するというアプローチが大切なのだそうです。
次に品質管理。これは5つのステップを踏むことで可能となるとされています。
- 真実だと分かっているところから始める
- それらを関連付ける
- 賛否両論を比較検討する
- 可能性を考える
- クリティカルパスをたどる
この5つのステップです。
まず確実に事実だと分かっている材料を集める、精査する。その事実を関連付けて考えてみる。真理は事実を関連付けるシステマティックな考えによってのみ明らかにされます。
しかし関連付けただけで真理と言い切ってしまうのはやや乱暴で、その真理と思われるものも、精査が必要です。その精査で重要な役割を持つのが賛否両論の検討で、その賛否両論の検討に役立つのがベンジャミン・フランクリンの「思慮分別の代数学」という考え方です。
メリットデメリット、利益と損失、そのような相反するものに分類して比較する。重みづけをして、どちらに傾いているのかを客観視する。そのうえで結論を出す。決断をくだす。判断をくだす。
その時に考えるべきなのは、出てくる結果の可能性です。どのような結果が出る可能性が高く、どのような結果が出る可能性が低いのか。そこをまた精査します。
そして、いざ実行に移すときに、どのような順序で実行していくべきなのか。望むべき結果、影響度合いなどを加味して、まず初めに何から着手すべきで、次に何を…と戦略を作る。
このような”品質管理”と”方法論”の2つが合わさることで聡明且つ正しい結果を導くことになります。
それになぜ気付かなかったのか?というのは、どこかでその何かが欠けていたり、甘く見られていたからだと想像されます。
第五章 なぜ、それを思いつかなかったのか?
ここまでは思考ベースのことが中心となっていますが、”思いつく”といったような創造的なフェーズでは、想像する能力が大切です。アインシュタインは創造的思考の頂点に想像力があるとしていて、「想像力は知識よりずっと重要です」と結論づけてもいます。
そして、ただ単に想像するのではなく、”勇敢に”想像することが創造的思考にはとても大切になってきます。
なぜなら、すべての人が喜ぶような想像の産物というものはないためです。その想像によって不愉快に思う人が必ず出てきますし、中には損する人も出るかもしれません。新しい何かを生み出すというのはそういうネガティブな要素を乗り越えてこそ成り立つものです。
勇敢に想像するというのは、ある意味では他者を顧みないような大胆さも求められ、それがあってこそ初めて創造的な思考が可能となります。
また、自身が傷つくこともあれば、失敗して何かを失うこともあります。不運や挫折に見舞わわれることもありますが、それを受け入れて乗り越える覚悟をしてこそできる”想像”もあります。
また、常識から外れる勇気も求められます。常識の枠の中で考えつづけていると、創造的な想像は誰かが思いつく範囲内に収まることになります。常識を超えてこそ、創造的な想像が可能となります。例えば、すでに出ている”答え”や”方法”に囚われることは常識に囚われていることになります。
それらを取っ払って、もしくはそれを凌駕するような新しい答えや方法があるはずだ!と取り組むことは常識から抜けることを意味しているし、また、勇敢な行動でもあります。
そうした勇敢な行動によって生み出された産物が、現代社会のあちこちに存在しているわけです。
なぜそれを思いつかなかったのか?という問いに答えを与えるとすると、勇敢に想像しなかったからだということが言えるようです。
第六章 なぜ、それを感知できなかったのか?
「それを感知しようと思えばできたかもしれないのに、なぜ感知できなかったのだろう?」
そう思う瞬間が人生の中にはたびたびあるものです。そして、そう思う時はたいてい一瞬「あれ?」と違和感を感じているものなのですが、でも感知したと受け止めず、その違和感を受け流し、後になって「なぜ感知できなかったんだろう?」と感じるものです。
なぜそのようなことが起こるのか。これは”論理性を重視しすぎる”ことにあるそうです。
過去の事例や既知の知識に基づいて論理を組み立てて、こうであるだろう、こうであるに違いないというロジカルを重視するあまり、現場や現実の違和感よりも過去の事例などに基づいた論理を重視しぎて現実が見えなかったことにあります。
過去の事例や知識も大切ですが、目の前の問題が過去の事例で全て解決できるということはなく、たいていは目の前の事例に特化して向き合うことによってでしか解決できないものです。しかも、現実を直視した解決策は既知の知識から導き出した答えと相反することがあり、それが混乱を生むため、現実を軽視されることもあります。
本来あるべきは、過去の知識や事例に基づいて導き出されるロジックと、現実に直面して感じる感覚やカンをミックスさせて導き出す答えが採用されるべきなのですが、現実を無視したときに”なぜそれを感知できなかったんだろう?”となるようです。
つまり、もっと自分自身の直感を重視すべきだし、それができないのは直感の重要性や自分の直感に自信がないことが起因しているので、その部分の理解を深めることが「なぜ感知できなかったんだろう?」と思うことを減らすことなるそうです。
直感の四段階
自分の直感を用いるには、次の4段階を踏むことをオススメされています。
- 没頭 … 事実や数字を集める。課題に関する資料を読む
- 孵化 … 潜在意識に指令を出す。考える時間を与えるために問題から物理的に距離を取る
- 洞察 … 自分の直感に敏感である状態を作る
- 有効性の確認 … 自分の答えが正しく有効であるかを理性で確かめる
この4段階を踏むことが、直感を使った問題解決につながるアプローチであるとされています。
直感のメリットはロジカルな根拠を必要としない、そういった論理性を飛び越えた解決策を導き出してくれることがあるということにあります。しかし、デメリットは根拠が乏しいので信頼性がどうしても欠けるという点です。
そのデメリットを理由に直感をつぶしてしまうと「なぜ感知できなかったんだろう?」と悩むことにもなります。感知しているのに感知したことを見逃しているのですから。
直感はロジカルでは導き出せないような解決策を導いてくれますが、それを活用するには、根拠が乏しいというデメリットを受け入れつつ、直感が伝えたいことを洞察するということが大切で、それができた時に「そっか!」という気付きにつながるようです。
第七章 なぜ、それを理解できなかったのか?
「そういう事が言いたかったのか」などの、後になってそれを理解した!という瞬間が訪れるのはなぜか。
その答えを一言で言えば”共感しなかったから”だというのが大きな理由となるようです。
共感できるかどうかではなく、共感しようとしたのか?ということが理解するうえでとても大きな意味を持つようです。
たとえば自分と全く意見の合わない人と議論を重ねたとしても、落としどころを見つけるのはかなり難しいはずです。それは、相手の言っていることに一ミリも共感できないからだと思うのです。
一ミリも共感したくない、認めたくない、許したくない。そんな思いでのぞむと理解からはかなり遠のくと思います。理解は、そんな相手にでも意識的に共感しようとすることから生まれます。
相手の立場、価値観、メリットやインセンティブなどを理解することによって、だからそういう言動なのか…という理解につながってきます。
相手に影響を与えたいなら…
共感は相手に影響を与えるうえでの基本スタンスです。その効果を知るうえで有効なのが、次の問いをあなたが影響を与えたい人に対して向けてみることです。
- この人は本当は何を考えているのか?
- この人は実際は何を感じているのか?
- この人をそのように考え感じさせている同機は何か?
- 自分の目的を達成するために何を言ったらよいか?
- 自分の目的を達成するために何をしたらよいか?
- 私の言動にこの人はどう反応するのか?
相手の考えや感情の焦点をあてて、そこを軸にして自分のふるまいを考える。この流れが大切なようです。
第八章 なぜ、それを予期できなかったのか?
「なぜ予期できなかったんだろう?」そう後悔するときは、たいてい訪れた不運に大して無計画無防備であることがほとんどです。
そして、なぜ予期できなかったのだろう?と考えるとき、そこにあるのは”未来は予測可能だから計画可能”であるという前提に立ってしまっていることにあるそうです。
未来には常に未知の要素が含まれています。未知の要素が含まれていますので完璧な準備も完璧な計画も存在しません。あるのはとりあえずの準備と取り合えるの計画、それを修正しながら現在に適応させながら進めていっているのが現実です。
でもなぜか、今わかる範囲で行った準備と計画で完璧だと思い込んだことによって、これでよし!と思ってしまう。その結果、想定外のことが起きた時に「なぜ予期できなかったのか?」となるのですが、答えは簡単で、予期しようとしていなかったということになります。
未来は未知の要素が含まれる。だから、いろいろなパターンのシナリオを用意して、準備をしておく。シナリオAが本命だけど、そのとおりにならないシナリオBも想定しておく。さらに・・・を繰り返してシナリオパターンを増やしていくことによって、「なぜ予期できなかったんだろう?」と思うことが減っていきます。
「予期できないのだろう?」は、既知の情報と知識だけで未来は予見可能だと思ってしまっているから導かれる結果です。
「なぜ、それを考えつかなかったのか?」の感想
はじめてこの「なぜ、それを考えつかなかったのか?」を読んだのは10年ほど前かもしれません。
本の要約と感想をまとめたこのブログを立ち上げようと思ったときに、あの本は紹介しておきたい!と脳裏によぎったので要約記事としてこの本をピックアップしてみました。
記事を書くにあたって改めて読み直してみると、10年前に線を引いた箇所が今読んでも新鮮だし普遍的に重要なポイントだと感じさせてくれて、やっぱりいい本だな…と改めて確信したものです。
当時と今の違いとして気付くのは、今自分自身が株投資を始めていて、その情報収集をする最中で見つけたテスタさんという著名個人投資家さんの思考法が、この本で書かれていることに非常に近いんです。
全ての章で書かれていることを自然とされているように感じます。
たとえば「なぜ、それを予期できなかったのか?」という章で書かれていることはまんま株式投資でも当てはまります。上がるのか下がるのかわからないのはもちろん、国内においても、世界的にもどんなイベントが起きるのかわかりません。
ここ数年でもコロナ禍があり、ウクライナ戦争があり…と想定外のイベントが起きていますが、それを想定して準備しているので、ダメージを最小限にできているとテスタさんはおっしゃてます。
思えば、疫病も戦争も起きる可能性はつねにあるわけです。あるわけですが、でも、起きないだろうと高をくくって、起きた場合の準備をしない人は多いと思うのです。そこを怠らずに準備する。だから株利益100億円に到達しているのだと思いますし、その域に到達していても不思議ではありません。
つまり、本で書かれている内容は仕事だけじゃなくプライベートでも株投資でも通用するような普遍的なことが書かれています。あらゆる面で戦略的に思考するうえでとても役立つ内容だと思いますので取り上げました。
是非あなたも手に取ってお読みになってみてください。